ぼくが考えたこと。

ぼく(28才、フリーター)が一生懸命考えたことについて。極個人的。

こんな夜更けに『夜に駆ける』

 

YOASOBIさんの『夜に駆ける』という曲。

めちゃくちゃ流行ってますね。基本的には流行りモノに乗っかりたくない、あくまでサブなカルチャーを愛することをモットーとしている(サブなカルチャーを愛している自分を愛しているだけな可能性が非常に高い)な僕ですが、

「どうせ否定するなら、ちゃんと聴いてから叩かなければ!」と謎の使命感から当該楽曲を聴き、今となってはドが付くほどハマってしまいました。めちゃくちゃいいなこの曲。

 

YOASOBIというアーティスト名と、『夜に駆ける』という曲名の親和性。

まるで夜に駆けていくこと自体が夜遊びである、と言いたげな茶目っ気というか、おしゃれ感というか。

加えて、楽曲の疾走感というか、爽快感。

決して派手に明るかったり、底抜けに軽快なわけではなく、あくまで夜のしっとり感みたいなのを残しながら、それに不和を生じさせない爽やかさ。聴いているだけで夜に駆けているような気分になれる、そんな気がしますよね!?(書いている本人も何を言っているかわかっていないので大丈夫です。)

 

ただ、歌詞に注目してみると、実は『夜に駆ける』ってそういう意味だったんだ、って気付かされます。そして、そこに気付いてしまうと、先述の疾走感、爽快感が意味するものが少し変わってくる。そこまで含めて、この楽曲めちゃくちゃいいと思うんですよ。

 

 

 

 

というのは、表面上の感想。

今回わざわざ文字に起こしているのは、特に自分に刺さった歌詞について言葉にしてみたかったからです。

 

それが「溶ける」という歌詞。

そもそも歌いだしから❝沈むように、溶けていくように❞であるように、この曲内では「溶ける」という言葉がちょいちょい登場します。

この「溶ける」が個人的にとても引っかかって、その引っ掛かりは「不可解だなぁ」という感じではなく、「なんでこんなにしっくりくるんだ!?」みたいな感じだったんです。

 

だから真面目に考えてみたんですけど、「溶ける」って、「対象物が外的な要因によってそのまま消えてなくなる」みたいなイメージが強いのかもしれない。

 

 

わかりやすいところで言えば、

 

❝忘れてしまいたくて閉じ込めた日々も 抱きしめた温もりで溶かすから❞

 

のところ。

 

 

忘れてしまいたいと思うことなんてきっと誰にでもあるけれど、忘れたいことだけコロッと忘れられる人間なんて、多分いない。むしろ、忘れたいことほど嫌な記憶として、傷跡みたいにずっと残ったりする。

そんな消えない傷跡との向き合い方の一つが、閉じ込めてしまうこと。

その傷を見ないように、考えないように、閉じ込める。忘れることができないから、閉じ込めるしかない。そんな風に心を守る人は、多分たくさんいる。

 

もちろん、傷は治った方が良い。専門家の力を借りたり、正反対の記憶をたくさん蓄積したり、時間に身をゆだねたり、そうやって閉じ込めたものといつしか向き合えるようになるのがベスト。

ただ、音楽はやっぱり誰かを元気にしたい、とか、勇気づけたい、みたいな目的に沿ったものが多いので、方向性的にはこっちに寄りがちな気がする。

涙の数だけ強くなれるよ、なんて聞こえはいいけど、結局それは強くなることを強要してない?とかひねくれた僕は思ってしまうんです。

 

でも『夜に駆ける』では、忘れてしまいたくて閉じ込めた日々を、❝抱きしめた温もりで溶かすから❞と歌うんですよね。

忘れたくて閉じ込めた日々を忘れさせるのではなく、こじ開けるのでもなく、とじこめたまま溶かしちゃう。

忘れられないことを「忘れさせてやんよ」っていうのは無責任極まりないし、二度と対面したくないから閉じ込めた日々を思い出させるようなことも論外。じゃあ相手のためにできることは?

もちろん、相手の閉じ込めた日々を自分なら溶かせる、なんて思い上がりも良くないとは思う。でも、全部踏まえて相手のためにできることって、結局抱きしめることくらいなんじゃないかと思うんです。

そして、❝抱きしめた温もりで溶かす❞という歌詞は、裏を返せば傷跡を治すことも忘れることも、向き合うこともできない相手のことを無条件に肯定する包容力があるように思えるんです。

「溶ける」という言葉からここまでの優しさが溶けだしているからこそ、相手に伸ばし続けた手の温もりが真に迫ってくる、のかもしれない。

だから二人の結末が『夜に駆ける』ことだったとしても、悲しいことだとは思えないんですよね。

 

 

 

はい、もちろん全て個人の意見であり、個人的見解であり、眠れぬ夜の暇つぶしでしかありません。

もしかしたらYOASOBIさんはこんなこと全く考えていないかもしれないし、全然的が外れているかもしれない。

それでも、僕がここまで考えたのは事実だし、僕がこの曲をどう聴こうと自由でしょう。誰も見ていないブログくらい、好き勝手にやらせてくれ。

 

こんな感じで歌詞について思いをはせるの、楽しいかも。