ぼくが考えたこと。

ぼく(28才、フリーター)が一生懸命考えたことについて。極個人的。

『パラサイト−半地下の家族−』、あるいは「貧困の臭い」について

 

昨日(3/14)、ようやく『パラサイト 半地下の家族』を観ました。

公開当時、あのポスター(下記参照)を見てからすごく観たかったんすよ。

間にCMとか挟まるのも嫌で金曜ロードショーもスルーしてたから、もう本当に満を辞して、って感じでした。

 

 

これが問題のポスター。うん、情報量が多い!

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簡単なあらすじとしては、

一家全員が失業中、貧困に喘ぐ主人公家族。半地下の自宅で内職をしたり、フリーのWi-Fiが入りやすい場所を探したりしながら、なんとか食い繋いでいる。

ある日、息子が友達の紹介で家庭教師の職を得る。

そこからあらゆる工作や嘘を織り交ぜて、家庭教師先である裕福な一家を騙し、半地下の家族全員がその裕福な家庭内で働くことになる(運転手の父、家政婦の母、家庭教師の息子、美術療法士の妹)。

裕福な一家の信頼を得て、うまく寄生できたと思っていた矢先に…

 

 

 

端的な感想としては、すんごく気まずかった。

半地下一家がどんどん嘘を重ねる感じ、子供二人に比べると詰めが甘い感じのする両親、一家の不在を利用して我が家のように振る舞う半地下家族の傲慢さ、その全部がバレてしまった瞬間に集約されるであろう感覚。

傍に置いたポテトチップに手をつける間も、飲み物を口にする間もなく、ずっと固唾を飲まされた。

終わった後、極度の緊張状態に置かれ続けたどこかの内臓が痛かったくらい。

こういうジャンルをスリラーと呼ぶのなら、めちゃくちゃ良い作品だったように思った。

 

 

 

 

 

 

(以下ネタバレ気にしないコーナー)

 

 

 

非常に面白かったし、良くできた映画だと思った。

嘘をつく貧困一家の狡猾さと、それに騙されてしまう裕福一家の滑稽なかんじ。

『半地下の家族』というサブタイトルのダブルミーニング

 いつ嘘がばれてしまうかハラハラする展開。

コメディーの色が濃いと思いきや、中身はきちんとスリラー。

思わず笑ってしまうような序盤から、サブタイトルの意味が分かった途端に一気に増す緊張感。そして散々息を詰めさせられた後の、血祭エンド。作中で溜め込まれた色々なものがはじける瞬間には、一種の快感すら伴う。

最後に、エンディングの何とも言えない不気味さ。

 

最初から最後まで、あわただしく感情が揺さぶられた。こういうのをジェットコースターみたいって言うのかもしれない。

でも、本当に語りたいのは上記のようなストーリーのアウトラインではなく、本作で描かれていた「貧困の臭い」について。

 

 

 

本作で象徴的に描かれている貧富の差。

格差社会、と一言で片づけてしまうのは簡単だけど、本作ではその一言で片づけてしまうのがもったいないくらい丁寧に描かれている。

 

物語の始まり、半地下一家の息子が家庭教師の仕事を紹介してもらう。

彼は身分を偽ってその仕事に臨むわけだけど、結果的に裕福な一家に認められ、きちんと家庭教師の仕事にありつくことができる。

紹介してくれた友達が言うように、女の子と遊んでばかりいるような現役大学生よりも、貧困で学校に通えない人間の方が能力が高くて、真摯だったりするのだ。

 

そこから貧困一家が裕福一家に取り入っていくのだけど、それは決して寄生などではなく、それぞれが自らの力で認められていく過程でもある。

書類偽装や演技力、応用力に長けた妹はもちろん、一見ダメそうに見える父親は車の運転をしっかり認めてもらえていたし、家政婦の座に就いた母親だって粗相することなく働くことができていた。

 

でも、彼らは嘘をつかなければきっと裕福なあの一家の下で働くこともできなかっただろう。いくら学があっても、技術があっても、貧困であるというだけで全てのチャンスは遠ざかり、いつまでも格差は埋まらない。結果として、嘘をついたり人を騙したりしない限り、彼らは貧困から抜け出せない。

 

 

 

さらに言及しておきたいのが、裕福な方の一家について。

こういう類の作品では富裕層の傲慢さが鼻につくパターンが多いように思うのだけど、今作に関してはそれがほとんどなかった。

人が良すぎて無限に騙される奥さんは息子への入れ込み具合を異常だとちゃんと判断できてたし、社長である主人は運転手である半地下家族の父に最大限の敬意を払っていた(コーナリング褒めるところ等)。奥さんのことちょっと貶しながらも、ちゃんと愛していたし。

裕福一家が不在の家で半地下家族が豪遊しているときの会話でも、「この家の人は良い人だ」という旨の発言が聞こえて来る。

半地下の家族達は仕事にありつくために裕福一家を欺いているけれど、彼らの人間性まで嫌っていたわけではなかった。貧困層が富裕層を妬むってだけでも一つの構図が成立しそうなのに。

 

清貧な半地下家族と、傲慢な裕福一家。

あるいは、下賤な半地下家族と、清廉な裕福一家。

貧困や格差社会をテーマにするならば、いくらでもわかりやすい構図にできたはずなのに、この映画はそうはしなかった。

 

 

「金はシワをのばすアイロンだ ひねくれたシワをピシッと」

 

だからこそ、この至言が刺さる。

逆にいえば、アイロンがなければシワはのびない。よれたまま着続けるから、もっとよれていく。

貧困はあらゆるチャンスを奪うだけでなく、人間性すら剥奪してしまうのかもしれない。

 

 

 

そして、裕福な一家の口から語られる貧困の「臭い」について。

いくら見た目を整えても、学があっても、技術があっても、生活の臭いは消せない。

 

リビングのテーブルの下に貧困家族が隠れてるシーン(個人的にあのシーンがこの映画のハイライト)。

息子達の前で語られる自分の臭いについて。

自分では手の届かない美人な奥さんが抱かれている(手を握るシーンがあったから、貧困父は裕福奥さんに気があったのかもしれない)。

羞恥、嫉妬、憎悪。握られた拳にはいったいどれほどの感情が渦巻いていたのだろう。

 

 

物語の終幕。

楽しい誕生日パーティー

車の中で、半地下家族の父の臭いに気がついて窓を開ける奥さん。

「俺は、ここに似合っているか」と問いかける半地下の息子。

全てを終わらせようとする半地下の息子と、暴走する半地下の狂人。

刺される半地下の娘。倒れる裕福一家の息子。

車のキーを渡すとき、貧困の臭いに顔を顰める社長。そして血祭り。

 

 

半地下家族の父の臭いに対してあんな対応をするなんて、と思う人だっているかもしれない。

でも、例えばホームレス、夏の盛りの生ごみ置き場、吐瀉物、排泄物。それらの臭いに顔をしかめない人なんているのだろうか。

 裕福な環境に慣れきってしまったあの一家にとって、貧困の臭いはそれらと同じ。そして、貧困な環境に慣れてしまった半地下の一家にとっては、自分では気づけないほどにその臭いに慣れ親しみ、染み付いてしまっている。

臭いに対する嫌悪感が生理的な反応だからこそ、二つの一家の間には絶対に埋められない格差がある。

たとえ仕事ぶりを認めていても、お互いに良い人だと思いあっていても、絶対に埋められない格差。

ひねくれたシワをピシッとのばすことができるアイロンを持っているかどうか、それだけの差。

 

 

 

だいぶ長くなったけど、ようやく総括。

緊張感、気まずさ、要所のコメディ感、全部とてもよかった。

扱ってるテーマもいいし、それがうまく作品に効いてる。細かい演出、台詞回しもちゃんと物語や設定に深みを与えている。(裕福奥さんの手を握る半地下父、水没する家の中で妻のメダルを探す半地下父etc)

だからこそ、こんなに長文の感想をしたためちゃうし、感想を形にするのに非常に長い熟成期間を要した(一カ月くらい更新しなかったのはそのため)。

そして何より、ベッドシーンがめちゃくちゃ生々しくてえっちだったので、個人的には85点くらいの映画でした。