ぼくが考えたこと。

ぼく(28才、フリーター)が一生懸命考えたことについて。極個人的。

迷い、傷つき、そして気付くこと。あるいは『2020年の恋人たち』

今回はすごく久しぶりに読んだ小説、島本理生さんの『2020年の恋人たち』の感想文。

小説を読むことは大好きなはずなのに、なんと本書が今年3冊目、実に4カ月ぶりの読書でした。

もちろん、小説を手に取らなかった理由ははただの怠惰でしかないのだけど、よくよく考えてみたら4カ月前に読んだのは小川洋子氏の『密やかな結晶』で、あんなに濃密で一生残るような読書体験を経た後なんだから、ある程度のインターバルが空くのも仕方ない、のかもしれない。

ちなみに今回の『2020年の恋人たち』、結論から言ってしまえばとてもとてもよかったので、また次までに間が空いちゃう気しかしない。

 

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主人公は32歳の女性、前原葵

ワインバーを営んでいた母が事故で急死し、なんやかんやで店を引き継ぐことになる。(ここのなんやかんやがまた非常に複雑)

 

同棲しているけれどずっと部屋から出てこない恋人の港、母親の店の常連で色々助けてくれていた幸村、新しく始める店を手伝ってくれることになった松尾くん、試飲会で出会った瀬名さん、近くでお店をやってる同業者の海伊さん。

 

様々な人との触れ合いの中で、色々なことを決断していく葵。

選んだもの、選ばなかったもの。手元に残ったもの、残らなかったもの。そして、自らの人生への気付き。あるいは諦め。

 

 

 

 

(以下ネタバレ等気にしません)

 

 

・どの男にするの?

32歳、女性の主人公が、色々なことに迷いながら、人生における大きな決断をしていくお話、だったように思う。

ここでいう大きな決断というのは、主に突然事故死した母の店を引き継ぐということなのだけど、同時にどの男性を選ぶか、という話でもあったような気がする。

 

同棲している恋人の港は、ずっと引きこもっていて会話もない状態。でも実は、それは葵が港との間にできた子供を勝手に堕胎したことがきっかけだったりする(それも、港がリストラされ傷ついているタイミングで)。

引きこもった後もずっと一緒に居たのは、きっと情が移っていたから。その情のうち、どれくらいが罪悪感だったのだろう。

 

母親のお店の常連だった幸村は、実は母親ではなく葵目当てだった。そして、母親が背負った借金を盾に、愛人のような存在になることを提案してくる。

本当に、救いようのない男だと思うけれど、幸村は無理やり関係を迫るわけではなく(強引にキスはしてるから余裕のアウトだけど)、その後も母親や葵のことを助けてくれていた。幸村本人も言っていたけど、たった一回のキスだけで全部抱え込んでくれたのだから、葵に対する気持ちは紛れもなく本物だったし、世の中もっと終わってる男なんてたくさんいることを考えれば、そんなに悪い人ではない、のかもしれない。(何度でもいうけど、もちろんクソ野郎なのは間違いない)

 

松尾くんはとてもいい人だけど、パニック障害をもっていて、人付き合いに難ありなところも。経済的に安定しているとも言いにくいので、大人同士の恋愛対象としては怪しいところ。

でも、めっちゃいい人。葵の恋愛対象にならなかったのが惜しいくらい。

 

逆に瀬名さんは、めちゃくちゃ悪い人。でも、めちゃくちゃ魅力的でもある。

男から見てもめちゃくちゃいい男。仕事ができて、女性慣れしていて、お店とかお酒の知識も豊富。葵が惹かれるのも納得。

でも、結局瀬名さんは結婚していて、瀬名さんの葵に対する気持ちが本気であっても、それはまた別の話なんだよなぁ。母親が稲垣さんの愛人をしていたのを間近で見てきた葵にとって、瀬名さんと距離をとったのは亡き母親に対する反抗、なのかもしれない。同時に、瀬名さんに惹かれたこと自体が血は争えないことの証明になるのかもしれないけれど。

でも、全部飲み込んでさえしまえば、瀬名さんと一緒に居ることだってできた気がする。

 

海伊さんは一度は葵と付き合ったりするわけだけど、その価値観には素直に頷けないところも。正直、個人的にはこの辺が一番考えさせられたところでもあるので、詳しくは後述。先に結論だけ言っておくと、個人的にはこいつが一番嫌い。

 

 

どの男性も、悪くないと思う。

そして、どの男性も両手放しで褒めたたえたくなる男ではない、とも思う。(その辺がめちゃくちゃリアルだったりする)

最終的に、どの男とくっつくんだろうなぁ、という下衆な好奇心が、読み進めるにあたって大きく作用していたように思う。

港との子供を堕胎していることや、幸村に関係を迫られた過去なんかは物語冒頭から匂わせておいて、一番衝撃を受けるタイミングで明かされる感じだったので、その辺が非常に巧いと思った。

 

もし自分が女性で、周囲に読書を趣味としている同性の友達がいたら、きっとキャッキャしながらどの男の人がいいか話し合っただろう。

残念ながら私は男性で、読書友達もいないので何も叶わないのだけど、一応言っておくと、私なら松尾くんを養うくらいの勢いで付き合いつつ、瀬名さんもキープしておきたい。

 

 

・異なる美学の話

冒頭でも述べているように、この本めちゃくちゃ良かったし、読み終わった今となっては大好きだと胸を張って言えるのだけど、実は、この本を読み始めて最初に思ったのは、自分とはあまりもかけ離れた世界だなぁ、ということだった。

 

自分が飲みに行くなら、葵の母が営んでいたようなワインバーではなく、葵が始めた感じのお店でもなく、瀬名さんの紹介で行くようなお店でもなく、安いチェーンの居酒屋だもの。

もっと言えば、そもそもあんまりお酒が好きではない。だから、一人で飲みに行ったりもしない。仕事の後、凝り固まった心と体をほぐしてくれるのは、アルコールではなくコーヒー(それも缶コーヒーがベスト)だと思っている。

さらに細かいところを言えば、同じお店に偶然居合わせた人と会話する感じとか、ワインの試飲会で知り合いを増やすみたいな感覚、そしてその試飲会に着ていく洋服の描写。

全部わかるし、理解はできるけれど、自分とはまるで違う。

例えるならドラマとか映画の中で観た光景のよう。

もちろん、本作だって小説だからそれでいいのだけど、どうしてもこの物語が自分とかなり遠い世界のことのように感じられてしまった。しかも、筆者の描写がとても丁寧で端正であるからこそ、その不和は余計に浮き彫りになる。鮮やかにイメージを掻き立てるけれど、そのイメージは自分が知らない、馴染みのないものばかりだったりする。

 

じゃあ、面白くなかったのか、と問われれば、そんなわけがない。

筆者の描写力が非常に高いから、知らない世界の異なる美学についても論理的に理解することができるし、その高い描写力で丁寧に描かれる心の機微は、自分だって知っているものばかりだった。

特に、男性との交流を通じた、葵の気持ちの移ろい。

港に苦しめられているような、依存しているような関係性。

まっすぐな松尾くんに引っ張られて、自分まで前向きになる感じ。

正しくないとわかっていながら瀬名さんに対して揺れる気持ちとか。

「あ、なんかいいかも」って感じる瞬間の切り取り方がとても上手で、気がついたら作中の葵と同じように感情が揺さぶられてる。いつのまにか美学の差異とかすっかり忘れて、葵と共に煩悶してしまってる。

 

作品を楽しむうえで、共感性はとても大きな要素の一つだと思う。

少し乱暴な言い方かもしれないけれど、共感性さえ備えていれば作品の完成度なんてどうでもいいと言ってしまってもいいくらいに。

あくまで個人的な話だけど、本作に関してはその共感性が乏しかったゆえに、最初はなかなか入ってこなかった。

それでもここまで感情を揺さぶられたのは、きっと作品の完成度(物語の整合性、瑞々しい筆致、リアリティなど)が高かったから。共感性が低くても、作品としてのクオリティが高いゆえに楽しめたというのは、意外と初めてのパターンかもしれない。

 

そして、共感性が低いからこそ、本作で知った新しい価値観について触れるきっかけになったように思う。

少なくとも、本作を読むまでは入る気にもならなかったおしゃれなバーに行ってみたいという気持ちが芽生えているし、今度お酒を飲みに行くときはコークハイじゃなく白ワインに挑戦してみようと思っていたりする。

そうして世界が広がれば、いつか本作を再読するときにたくさんの共感が生まれていて、一回目に読んだときよりも楽しめる、のかもしれない。

 

 

・海伊さんの「正しさ」について

いろいろな男性の間でいろいろなことがあった末に、結局葵は同業者の海伊さんと交際することになったけれど、確かに海伊さんには他の男性陣にはなかった魅力がたくさんあった。

瀬名さんよりも誠実で、港より自立していて、幸村ほどいやらしくなくて、松尾くんほど近しくない。

それでいて、出会い方が非常に印象的で、助けてもらえた感謝もある。それでいて見た目だって嫌いじゃないし、葵のことを強く強く求めてくれる。

確かに、これは好きになるのも自然かもしれない。

 

でも、個人的には海伊さんの言葉の端々に滲む「正しさ」が非常に気になった。

もっとも端的に現れているのが、既婚者との恋愛について葵が後悔しているだろうから、と発言したところ。

たしかに、既婚者との恋愛は世間的に見たら褒められたことではないのかもしれない。

でも、葵はかなり早い段階で瀬名さんが既婚者と知っていわけで、それも承知の上で溺れるのか、溺れないように距離をとるのか、きちんと考えていたわけで。それに、瀬名さんだって既婚者とは言え、葵と真摯に向き合っていたわけで。

そんなの全部知らないままに「後悔しているだろうから」と言い切ってしまう海伊さんは、たぶん正しい。絶望的なくらい正しい。反吐が出そうなほどに正しい。

 

他にも、海伊さんの絶望的な正しさが発揮されるシーンは多々ある。

先輩の店で、突然葵を呼び捨てにする感じ。

結婚したら一緒に店をやることも考えていると、相談もなしに言ってのけちゃう感じ。

 

これらの違和感は、きっと全部海伊さんの育ってきた環境下に限定すれば、圧倒的に正しいことばかりなのだと思う。少し乱暴に言い方になるけれど、古き良き日本の価値観というか。

寡黙で男らしい父と、その父に甲斐甲斐しく尽くす陽気な母。葵が昔憧れてやまなかった、絵に描いたような幸せな家庭。

そこではきっと妻は夫の後に付き従うし、夫は家長として家族を力強くけん引しなければならない。もちろん結婚とは絶対に揺るがない真実の愛の契りであり、結婚後に浮気なんて許されるはずもない。

きっと日本で一番典型的で、誰の心の中にも多かれ少なかれ根差しているであろう価値観。

 

でも、海伊さんが正しいと思っているその価値観とは、異なる生き方をしている人(異なる生き方しかできなかった人)だって、存在する。

もしかしたら、それは自分の隣にいる人かもしれない。

 

どうしてそういう想像力を働かせることができないのだろう、と個人的には思ってしまう。

他人に自分の常識とか哲学とか生き方を押し付けるのってあんまりよくないことであるはずなのに、押し付けられているものがあまりにも正しいから、何も言い返せなくなってしまう。その正論の暴力性に、どうして考えを巡らせることができないのだろう。

 

結婚するかどうかも、将来は二人で一緒にお店をするのかどうかも、既婚者と恋愛をするのかどうかも、全部本人の意思で決めていいこと、いや、決めるべきことのはずだ。

少なくとも、葵はそうやって生きてきた。料理人は男社会ですから、と朴訥に語り、それを受け入れてきた海伊さんよりは。

 

もちろん、その正しさの中に身を置いて生きることは悪いことではない。それはきっととても幸せなことだし、あまりにも典型的すぎてもはや記号化された幸せの形と言ってもいいかもしれない。

それに、葵だってその幸せの中に身を置くという選択をすることだってできた。(作中の言葉で言えば、『あのしがみ付くような強い腕の中に戻ってしまったら、私はまた揺らぐだろうと思った』らへん)

海伊さんの持つ父性を帯びた力強さは、きっとこれまでの人生で誰にも守られたことのなかった葵を優しく包んでくれるだろう。それでいて、葵のことを力強く求めてくれるだろう。

自分よりたくましい男性に守ってもらえること、誰かから強く必要としてもらえること、どちらもとても幸福なこと。そして、絵にかいたような幸せに埋没すること。

 

でも、葵はその道を選ばなかった。

海伊さんと別れることは悲しいと思っているけれど、それは「自分を求めてくれる相手と物理的に離れてしまうことへの淋しさ」だと理解して、離れることを選ぶ。

 

個人的に、この辺がすごいと思う。自分のことを求めてくれる相手と物理的に近しい距離にいる、それだけで人生全部費やせるほど気持ちいいし、安心できることなのに。

 

気持ちいいことに、安心できることに、正しい価値観に身をゆだねることに、自分の意志で離反を告げること。

その決断にカタルシスを感じたのだと思う。固定観念と化した正しい価値観に没することの幸福感や安心感について、葵がしっかり認識しているからこそ、余計に。

 

・迷い、傷つき、気付くこと

本作は、主人公の葵が様々な決断をしていく物語だったけれど、大きな決断を下すためには、もちろん悩むし、迷うし、その決断は時に傷を生む。自分が傷付くこともあれば、相手を傷つけることもあるだろう。

でも、ちゃんと悩んで、しっかり傷ついて、それでもなお前を向いて歩いていくからこそ、気付くこともある。

例えばそれは、恋愛なんて必要ないという悟りかもしれないし、今まで自分が誰にも大切にしてもらってこなかったという悲しい事実かもしれない。

その気付きは、普遍的なものでなくても、利己的なものであっても、なんなら間違っていてもいい。大切なのは、自分で気付くこと。

それがたとえ独りよがりでも、誰かを傷つけるものであっても、世間的に見て間違っていても、それが自分自身で気付けたものであるならば、それは自分にとって唯一無二のものだろうから。

 

そして、間違えても、傷ついても、気付きを得ても、それでもまた誰かを求めていこうとすること。

願わくば、葵の新しい出会いが、よきものでありますよう。

 

・思ったこととか

最後に、細かい感想を箇条書き

・とにかく、文章が良すぎる!

島本さんは、とにかく文章がいい。ストーリーとかシチュエーションだけではなく、文章だけでご飯が何杯でもいけちゃう。今回もいっぱい付箋貼っちゃった。

 

・脇役が素敵すぎる

脇役、と言ってしまうと乱暴かもしれないけれど、物語のメインではないキャラクターの魅力値がすごい。旦那さんとの関係に揺れ動く弓子さん(悩んだ末に弓子さんが選んだ生き方が葵と対照的なのが良い)、あと、いちいち言うことがかっこよすぎる部長(そりゃ妹も惚れてまうで)。あと、めちゃくちゃ嫌なヤツな義兄(素敵、ではないけど、あそこまですがすがしく嫌な奴なのもすごい)。

この辺のキャラクターがしっかり定まっていたから、それと接する葵の心にもしっかりとした波紋が生まれて、物語にも深みが生まれるんだろうなぁ。

 

・ラストシーン、クリスマスの出会いについて

物語の最後、クリスマスにホテルのラウンジで声をかけてきた男の人との、新しい恋の予感。

この出会い方、個人的にめちゃくちゃ最高。もう、最高過ぎて最高。もしこんな風に、こんな理由付けで声をかけられたら、絶対始まっちゃう自信がある。

 

 

総括

読み返してみるとえらくとっ散らかった文章になっているけれど、そもそも内容が素晴らしすぎて、その内容に正しく言及できている自信もなくて、結局は二か月くらい更新せずにブログを寝かしてしまっていたから、仕方ないのかもしれない。

今度からは、もっと早く、丁寧に更新しようと思いました。