徒然なるままに
真夜中に文章を書くことに疲れてきたので、気晴らしに文章を書くことにしました。
文章の気晴らしに文章を書くなんて、バカみたいですね。でもメッセージ性とか、テーマとか、果たしてその文章が面白い文章なのかとか、考えずに書くことができるのはそれだけで楽しかったりするのです。
過去記事を読み返してみると、誤字脱字の多さに寒気がしました。テンションで書き上げるから、細かい文章の整合性やら誤字脱字などのイージーミスが多くなりがちなのが自分の悪い癖だと思います。
ただでさえ良い文章を書けるわけではないのだから、せめて誤字脱字くらいはなくしていきたいですね。
この文章を読んだ未来の自分が、少しでも今の気持ちを思い出してくれることを切に願います。
夜中まで無駄に起きていると、いろいろなことを考えてしまいます。
今やっているゲームのことや、今読んでいる小説のことなんかだったら全然いいんだけど、夜中に考えてしまうことのほとんどはが、あまりよくないことだったりする。
例えば、『大学生時代は良かった』なんてこと。
あの頃は夜が楽しかった。友達と遊んだり、ゲームをしたり。次の日の講義なんて、休んでしまえば良かった。講義をサボって遊ぶことには適度な背徳感も付随するので、余計に楽しかったりもした。
でも、今はどうだろう。
講義をサボるような気軽さで、仕事を休むことなんてできないもの。だからこそ、いくら遊びたくても、いくら眠くなくても、眠らなくちゃいけない。寝不足が原因で仕事に支障が出たら、怒られるどころの騒ぎじゃないもの。
こんな意味のない文章を書いている私は、もちろん明日の仕事が休みだ。だからこそこんな時間まで起きているのだけど、それだって純粋に楽しいわけではない。
大人になってしまったら、時間が圧倒的に足りないのだ。
読みたい小説は嘘みたいに積み重なっているし、やりたいゲームも馬鹿みたいにたくさんある。観たい映画だってたくさんあるし、そんなことをしている時間があるならば、隣の部屋で一人で眠っている好きな女の子を抱きしめに行きたいとも思う。
そう、圧倒的に時間が足りない。
この世界にはたくさんの小説があふれていて、これから先もたくさんのゲームが開発されていって、面白い映画はどんどん生み出されていく。いま付き合っている彼女と、いつまで一緒にいられるかなんてわからない。明日私が(あるいは彼女が)事故で死んでしまったら、二度と抱きしめることができなくなってしまうのだから。
今から死ぬまでの時間をすべて使っても、既に生み出されたものを消化しきることすらできないだろう。そんな状況では、一秒たりとも時間を無駄にはできない。好きな人と一緒に暮らしているなら、なおさらだ。
でも私は馬鹿だから、こんな無駄な文章を書いているのです。
私は馬鹿だから、こんな無駄な文章を書くことを楽しいと感じてしまっているのです。
そして私はどうしようもないくらい馬鹿だから、こんな無駄な文章で何かをどうにかしたいとすら思っているのです。
『無駄』は良くない。
『無駄』は省くべきだ。
でも、人生に必要な『無駄』だって、あるじゃないか。
『無駄』っていうとつまらないから、まずはそれを何とか『余白』くらいに昇格させたいものです。もっとも、それは自分の心の持ちようだとも思うのだけど。
このまま続けても何にもならないので、唐突に終わり。
あわよくば追い詰められた時の私が、この文章を読んで心に余白を作れますように。