ぼくが考えたこと。

ぼく(28才、フリーター)が一生懸命考えたことについて。極個人的。

指先から始まる何かに期待して

 

眠い時はブログを書くことを習慣にしていきたいと思います。なんでもない文章をたくさん打ち込むことは眠気覚ましにぴったりだし、タイピングをたくさんするとそれだけでドヤ感が出せるのでお気に入りです。

 

 

『指先から始まる何かに期待して』というのは、今人気のあいみょんさん『今夜このまま』の歌詞の一節です。この一節があまりにも好きすぎて、この一節のために『今夜このまま』を聴いているといっても過言ではありません。

 

『指先から始まる何か』と言っても、指先から唐突に何かが始まるわけではないと思うんです。だって、その指先を動かしているのは自分自身だもの。

これを突いてみよう、こんな文章を書いてみよう、この人に触れてみよう、どれも結局は自分の意志で動き始めているわけです。

 

それならば、指先から始まる『何か』の正体なんて、自分である程度想像がつくのではないかと思うのです。そのものの見た目で触感を予測しながら触るだろうし、文章を書く時なんて頭の中で考えながら入力しているわけだし、誰かに触れたいと思った時点で、その人に対して好意的な感情を抱いているのは確定なわけですから。

 

それでも、指先から始まる『何か』、とこの曲では歌っています。

突いたら、意外と違った触感が来るかもしれない。文章を書いてみたら、自分でも思わない方向に本当に書きたいことが見つかるかもしれない。触れた瞬間に気付く恋だって、あるかもしれない。指先を動かすことでしか、見えてこないものなんてたくさんあるはず。

 

何かに触れることは、とても怖いことだと思います。

触れた指に痛みがはしるかもしれないし、自分の書いた文章が誰かに笑われるかもしれない。誰かのことを好きになっても、その気持ちが実らずに悲しい気持ちになるかもしれない。

 

でも、触れてみなければ何も始まらないのです。

触れてみて初めて心が動き、憶測は経験に変わり、もしかしたら新しい『何か』が始まるかもしれない。触れた結果が想像通りかどうかは、実際に触れない限りわからない。実は想像とは違う『何か』があるのかもしれない。

その『何か』のために、指先を伸ばすのです。新しい『何か』に出会うために誰かに触れたいと思うし、着地点を見定めないままにブログの編集ページを開いているのです。

 

大人になると、手を伸ばすことが億劫になります。

生きていくためには仕事をしなければいけないし、週末なんて平日の反動で寝ている間に終わってしまう。

新しいものに触れる以前に、今手の中に抱えているものでいっぱいいっぱいです。

でも、だからこそ僕は伸ばしていきたいと思います。このままで終わりたくないし、飯間の日々に満足しているわけでもないから。

でも、新しいものに触れるための気力なんて、早々わいてくるものでもないので、『指先から始まる何かに期待』することが必要なのかもしれません。

指先が気まぐれに選んだ文庫本に人生を変えられたなんて経験は、ざらにあるもの。『指先から始まる何か』が人生を大きく変えるかもしれないなら、何事にも触れてみないと損だと思います。

そんなことを考えさせてくれるから、僕はあいみょんさんが好きなのだと思います。

 

ということで、『指先から始まる何かに期待して』書き始めた文章でした。

良い感じに気分も転換できたので、新しい『何か』に期待しつつキーボードをたたき続けようと思います。