ぼくが考えたこと。

ぼく(28才、フリーター)が一生懸命考えたことについて。極個人的。

たまらなく無意味で有意義なぼくの休日

今日は一日中ゲームをしていました。

ドラゴンズドグマオンラインです。

せっかくのオンラインゲームなのに、誰かとプレイするわけではなくただただ黙々こなしていました。

 

面白かったのかと聞かれたら、「非常に面白かった」と答えます。

しかし、終わった後のこの虚無感は、いったい何なのでしょうか。

本当はもっとやらなければならないことがたくさんあって、もっと有意義な休日にできたはずなのに。って思ってしまいます。

 

ということで、今回はやらなければいけないこととか、有意義ってなんだとか、そんな系の話。

 

 

家事とか、仕事とか、掃除とか、そういったことまで考えだすと、私たちの生活は「やらなければならないこと」で押しつぶされてしまいます。

「やらなければならないこと」は言い出すとキリがないので、私たちの生活から「余暇」という概念はなくなってしまうでしょう。

 

「やらなければならないこと」にはさまざまなことがあって、中には「おまえそれ絶対にやらなくてもいいだろ」ってことも含まれています。

たとえばソシャゲ。ソシャゲってスタミナ云々があったり、降臨ダンジョンとかの問題で、プレイする時間が限定されてくるんですよね。

だからこそ、授業とか仕事とかそっちのけでソシャゲを始めちゃったり、いつの間にか「降臨来てるからやらなきゃ…」って感じになってる気がします。

最初は無料の暇つぶし感覚で始めたゲームなのに、いつの間にかゲームの降臨ダンジョンのタイミングに合わせて生活してる。なんと恐ろしい。

 

ぼくが今やっているドラゴンズドグマオンラインでもそうです。

これってみんなでやったらすごく楽しいんだけど、一緒にプレイするにはぼくのレベルがすごく低いんですよね。

結果として「レベルあげなきゃ」と無意識のうちに考えてしまうんですよ。

今日のゲームももちろん楽しかったんだけど、どこかで追い詰められている感がなかったといえばうそになります。

 

 

こうした一日を終えた後にいつも思うのは、「今日一日をほかのことに使っていたらどれだけ素敵だっただろう」ということです。

 

ぼくの休みの使い方は無限大だったのです。

カメラ片手に散歩することもできたし、小説を読むことも、アニメ見ることだってできた。

運動不足の解消のためにジョギングすることもできたし、散らかった部屋を片付けることもできたはず。

 

もしこういったことを行っていれば、ぼくはいい写真を撮ってSNSでいいねをもらえてたかもしれないし、人生を生きる上でかけがえのない名作に出会えてたかもしれない。

ジョギングしたら痩せるし、部屋の掃除をしたら彼女が喜んだだろう。

それでもぼくは、一日中どことなく鬼気迫る気持ちでゲームをしていました。

そうして彼女が帰ってくるまでの貴重な時間に洗濯物をたたむことよりも駄文をまき散らす道を選んでいます。

 

 

ここまでやんやと言ってきたけど、結局ぼくにはどこかでゲームをする時間が必要だったし、今日一日を無駄だと思いながらも、今日という一日を後悔しているわけでもありません。

 

要するに、人生におけるこういう一日は必要悪みたいなものなのかもしれませんねってことです。

人生をより良いものにしようと思うと、娯楽なんて何もできなくなってしまうし、娯楽にも何らかの意味を求めてしまって、心の底から楽しめなくなってしまう。

 

アニメにも漫画にも、恋愛にも仕事にも人生にも、人間はどうしても何か意味を求めてしまうものだと思います。

でも本当は大した意味なんてなくて、せっかくの素晴らしい人生(あるいは作品、恋愛など)を、意味にとらわれすぎたせいで台無しにしてしまうのかもしれません。

 

自分の人生の意味について考えてもキリがないので、たまには今日のぼくのように、どうしようもないくらい無駄な時間を有意義に過ごすことが必要なのだと思います。

 

 

 

という風に書いてきましたが、実は結びの部分だけで30分くらいかかっています。

いつも思い立ったままに文章を書きだし、結論を何も考えないままに論理を飛躍させすぎ、完全に着地地点を見失ってしまうといういつものパターンです。

ぶっちゃけ文章をブラインドでカチカチ打てることによってるだけの感もあります。

 

自分でも収拾がつけられない文章を後悔しても、誰も理解できるはずがないので、今度からは最初から最後まで、何を書くか考えてから書きます。

 

…たぶんまたしばらく期間が空くんだろうなぁ。