ぼくが考えたこと。

ぼく(28才、フリーター)が一生懸命考えたことについて。極個人的。

『密やかな結晶』

今年二冊目の小説は、毎度お馴染み、大好きで大好きでたまらない小川洋子さんの『密やかな結晶』でした。

「でした」というのも、実は読み終わったのはこれを書いている十日ほど前で、本当はもっと早くにこの文章を綴るべきだったんです。さっと書けなかったのは自らの怠惰によるところが二割、残りの八割は本書の内容のヤバさ。ぶっちゃけ年始二冊目でもう今年一位が出てしまった可能性すらある。

とりあえず感想を綴るべく文章を書き始めたけれど、はたしてどこまでこの胸の内側に秘めているものを誠実に忠実に文章にできるか。

正直めちゃくちゃ気が進まないけれど、未来の自分のために逃げ出さないぞう。

 

 

ということで、小川洋子さんの『密やかな結晶』。

最初に世に出たのは1994年(!!!)のことらしい。私が三歳の頃。

そんな本書は2019年に全米図書賞、2020年にブッカー国際賞というイギリスの賞で最終候補まで残ったみたい。それ故かはわからないけど、文庫版が新しく発売されるというタイミングで手に取ることができた。小川洋子氏が大好きとはいえ、全部もれなく買っている訳ではないので、そういう意味ではこのタイミングで本書を手に取ることができてめちゃくちゃよかったなって思う。

 

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あらすじは画像の通り。

まず言及したいのは、この「消滅」について。

消滅は朝起きたら唐突にやって来ていて、島の住民はそれを肌で感じとる。

消滅したものは突然跡形もなく消えるのではなく、徐々に消えてなくなる。消滅についてわかりやすく描写している、冒頭の鳥が消滅するシーンから一部引用。

 

(以下引用)

「あれは、観測所で父さんと一緒に見たことのある鳥だったかしら」

そう思った瞬間、わたしは心の中の、鳥に関わりのあるすべてを失っていることに気づいた。鳥という言葉の意味も、鳥に対する感情も、鳥にまつわる記憶も、とにかくすべてを。

 

せめてその羽ばたき方や、さえずりや、色の具合を、自分の中にとどめておこうとしたが、無駄だった。父さんとの思い出に満ちているはずの鳥が、もはや何の温かい感情も呼び起こしてはくれなかった。それは羽を上下させることで宙に浮いている、ただの生き物にすぎなかった。

 

インコや文鳥やカナリヤたちは何かの気配を感じて、かごの中で羽をばたつかせていた。飼い主たちはみんな無口で、ぼんやりした表情をしていた。今回の消滅に、まだ心がなじんでいない様子だった。

彼らはそれぞれのやり方で、自分の鳥とお別れのあいさつをしていた。名前を呼んだり、頬ずりをしたり、口うつしで餌をやっている人もいた。一通りそういう儀式が終わると、みんな空に向けてかごの扉を一杯に開いた。鳥たちは最初戸惑ったように飼い主の周りを飛んでいたが、やがて遠くの空に吸い込まれ、見えなくなってしまった。

 

(以上、引用終わり)

 

細かい要素を並べるよりも、本文を引用するのが一番早くて、正確で、わかりやすいことの良い例ですね、、

とにかく、こんな感じで島からはいろいろなものが消えていく。リボン、香水、フェリー、エメラルド‥

島で暮らす人々は、大袈裟に嘆いたりせず、その消滅を受け入れながら暮らしている。

 

先述の引用箇所の中にも飼っている鳥を逃がすシーンがあったけど、消滅したものは島から全てなくさなければならない。それは義務だから仕方なく、とかではなく、消滅するということは島で暮らしている人々の心からも消えてしまうということなので、そうせざるを得ない、というニュアンスらしい。ここでも写真が消滅するシーンから引用。

 

(以下引用)

「新しい心の空洞が燃やすことを求めるの。何も感じないはずの空洞が、燃やすことに関しては痛いくらいにわたしを突き上げてくるの。全部が灰になった時、やっとそれはおさまるんです。その頃にはたぶん、写真という言葉の意味さえ思い出せなくなっているでしょうね。」

(以上、引用終わり)

 

消滅に関わる文章はあまりにも素敵なものが多すぎて、引用まみれになってしまうからこれくらいにしておこうと思う。

消滅なんてもちろん現実に存在するわけではないけれど、小川洋子氏はその我々の常識ではありえないとされることも平然と、そして切実に描き出す。

消滅の過程も、消滅を受け入れていく人々も、淡々と、それでいて慎ましやかに描かれており、それが「小川洋子的静寂」(なんて頭の悪い形容のしかただろう)、みたいなものを紡いでいく。最初から最後まで、例え何が消滅しようとも、この小説はずっと穏やかだった。

 

 

ただ、ずっと穏やかなままではお話にならない。(小川洋子氏の文章ならばそれだけでも成立する気もするけれど。)

主人公である「わたし」は小説を書いていて、その担当編集者であるR氏を自宅にある隠し部屋にかくまうことになる。R氏は消滅が続く島において消滅したものの記憶を保持し続けることできる人間で、秘密警察にばれたら逮捕されてしまうからだ。

隠し部屋、秘密警察など、ナチスドイツによるユダヤ人迫害を彷彿とさせる展開。(実際に、小川洋子氏はアンネの日記に大きな影響を受けたらしく、アンネフランク関係の著書もあるらしい)

隠し部屋を作り、R氏をかくまうのを手伝ってくれるのが、昔からずっと家族ぐるみで交流があるおじいさん。

「わたし」、R氏、おじいさんの三人が主な登場人物。

 

消滅が進み、緩やかに終わっていく島。

隠し部屋に匿っているR氏、いつでも味方になって協力してくれるおじいさんとの交流。

迫り来る秘密警察の「記憶狩り」の恐怖。

ストーリーについては、大体こんな感じ。

 

 

 

ということで、以下からはネタバレ等の考慮なし、正しいかどうかもおいといて、とりあえず個人的な感想を好き勝手かいていくパート。

 

 

第一に言及したいのは、小説家である「わたし」の書いている小説について。

何かを失う小説ばかり書いている「わたし」は、声を失ったタイピストが、恋人(タイプ教室の先生)と一緒になくした声を探す小説を書いている。

本当はありふれた愛情で結ばれ、声を探すためにタイプ工場や、岬の灯台や、病理学教室の冷凍庫や文房具屋さんの倉庫を旅して歩く(原文まま)物語になるはずだったのに、気づいたら主人公は恋人のタイプ教室の先生に監禁されている。

「とうとう小説の中の彼女も閉じ込められてしまったわ」

R氏を狭い部屋に閉じ込めて(保護して)いる「わたし」は、そんなことを思う。

 

ちょっとだけ脱線するけれど、恋人を閉じ込めたタイプ教室の先生が語る閉じ込めた理由がとても良い。

 

(以下引用)

「教室ではみんな無口だ。キーを叩く間お喋りする生徒なんていない。指だけに神経を集中させていればいいんだ。指には規則があるけど、声にはない。それが最も僕の心を乱す点だ。タイプの音だけが響く中、少しでも正確に一字でも多く僕の命令に従おうと、指がけなげに動き続けている……。すばらしい光景だと思わないかい?ところが、授業の終わりがくる。指がキーから離れる。するともう君は好き勝手なことを喋り始める。」

(以上引用終わり)

 

とても歪で、どことなく官能的で、狂気じみているかんじ。『薬指の標本』を思い出させるような。

文庫版解説の言葉を借りるなら、

「蜘蛛の巣にかかった蝶が、蜘蛛の毒針に刺され、うっとりしびれていくような、少々倒錯のにおいのする官能的な状態」

これが大好物だから、小川洋子作品を読み続けている気がする。

 

話を戻して、「わたし」が書いているこの小説は、『密やかな結晶』の本編を示唆するような内容になっている。

恋人に閉じ込められた小説の主人公と、担当編集であるR氏をかくまう(閉じ込める)「わたし」。

もちろん、R氏を閉じ込めているのは保護のためであるのだけど、それでもR氏を閉じ込めている間は、R氏は自分の奥さんや、生まれたばかりの子供に会うことはできない。

その状況は、「わたし」がR氏を独占している、とも言える。

そして、所々にちりばめられた「わたし」の妖しい台詞。

 

(以下引用)

「彼はもう、あの部屋だけでしか生きていけないのよ。彼の心は濃密になりすぎているわ。外の世界へ出ていったら、無理矢理水面に引き上げられた深海魚みたいに、体がばらばらにちぎれてしまう。だからわたしは、彼を抱きかかえて海の底に沈めているの。」

 (引用終わり)

 

「わたし」とR氏の関係はところどころに官能の色を帯びる。

狭い隠し部屋で寄り添う二人。

 

(以下引用)

「この鼓動の向こう側に、わたしがなくしてしまった記憶がたくさん詰め込まれているのかしら」

「わたしはそう言おうとしたが、彼が唇をふさいだので、声にすることはできなかった」

「わたしは彼の身体の輪郭を正確になぞることができた。筋肉の一つ一つがどんなふうに動き、関節がどんな角度に曲がり、血管がどんな模様で透けて見えるか、思い浮かべることができた。」

(以上引用終わり)

 

この辺の雰囲気作りというか、描写力があまりにもすごくて、とっても静かなのにそれでいて官能的で、すごくヤバい(語彙力)。

小川洋子的静寂は、ただ静かで穏やかなだけではない。その奥底には官能とか退廃の匂いがうっすらと漂っている。それは濃密ではないからこそ、強く薫る。

 

 

再び話を戻して、「わたし」の書く小説について。

小説の主人公が声を失っているのに対して、消滅が進んだ島において最後まで残ったのが声だというのも、あまりに示唆的。

 

閉じ込められたまま部屋に同化していき、身体感覚を失う小説の主人公。現実世界における消滅で、身体感覚を失っていく「わたし」。

 

R氏を匿っている隠し部屋は秘密警察にもバレていないので、消滅したものたちを保管しておくことができる。すなわち、体をどんどん失っていく「わたし」も、隠し部屋に保管される対象になる。

「大丈夫だよ。怖がることなんてないさ。僕は君を隠し部屋に大切に保存するよ」といってほとんど動けない「わたし」をベッドに横たえるR氏。保護する側とされる側の逆転。

 

肉体が全て消滅したことによって、不自由な身体感覚からも解き放たれる「わたし」。全てが消滅したからこそ、記憶狩りを恐れずに隠し部屋を出ることができたR氏。

 

失ったはずなのに、不自由から解放される感覚。

保護していた側が、保護される側になること。

いつまでも隠し部屋に残る、消滅した「わたし」の体と、部屋を出ていくR氏。

R氏はきっと、そのからだに触れて「わたし」のことを思い出し続ける。

幾重にも繋がる小説と現実、倒錯に重なる倒錯によって、現実世界と小説世界の輪郭が溶け合っていくよう。

 

消滅で全てを失ったはずなのに、R氏とも離ればなれになったのに、これが「悲しいお話」だと心のそこから思えないのはどうしてだろう。

 

 

 

一番に言いたかったのは上の通り。

次に触れておきたいのは、『密やかな結晶』に緊張感を与える要素について。

 

まずは、もちろん秘密警察。

秘密警察の絶対的な恐怖。

いつも助けてくれる頼もしいおじいさんが呼び出されたときの絶望感。

幸せな団らん中に呼び鈴がなった瞬間の緊張感。

全体を通して静かで穏やかな物語だからこそ、これらの緊張感がすごく刺激になる。こうして緩急があるからこそ、静かに流れていく物語に飽きることがない。

 

そして、おじいさんの死。

地震で怪我をしたおじいさんの体に起こる異変が、めちゃくちゃ不穏ですごく嫌な感じ。それが小川洋子的静寂のなかで、無視できない確かさでにじり寄ってくる。

秘密警察に対峙するときも、隠し部屋を作る時もたすけてくれる、すごく頼れるおじいさん。

家族を亡くした「わたし」を精神的にも支えてくれてたおじいさん。

真面目で、慎ましやかで、どことなくかわいらしいおじいさん。

だからこそ、おじいさんの死がすごく効く。めちゃくちゃ効く。

死の影が忍び寄る様子と同じく死の描写も淡々と静かで、深い悲しみと悼みに溢れている。

 

純文学とされるジャンルの物語は、エンタメ小説とされるものよりもストーリーの引きが強くない。

大袈裟な伏線が張り巡らされているわけではないし、どんどん返しがあるわけでもない。

人によっては「退屈」と言われてしまっても仕方ないと思う。(あくまで個人的な意見です)

 

その点、この『密やかな結晶』は、読み手の気持ちをずっと離さないようになっていたように思う。

秘密警察にもたらされる緊張感、おじいさんに忍び寄る死の予兆、どんどん致命的になる「消滅」。

カレンダーが消えて雪に閉ざされる島、島から小説が消えるシーン、時折挟まれる作中作。

読んでいて退屈だったり、意味がないと思うパートは全くなかった。

そして、クライマックスに至る足がかりとなる、作中作と現実世界が明確にリンクするシーン。

それは「わたし」が消滅に打ち勝った証であり、いつまでも消えることのない、小説が消滅したあとも残るR氏との繋がりである。

伏線の回収という意味でもカタルシスを得られる、本当に凄まじい展開。ここは読んでて鳥肌がたった。

 

 

 

はい。 

ながなが書いてきましたが、読み返してみるとえらく脈絡のないものになってしまったように思う。

でも、これが今の自分にできる、もっとも誠実な感想文、だとおもう。

本の解説とか書く人って、本当にみんなすごい人なんだなって、こんな文章を書いてみて初めて痛感するね。

この本はまた絶対読み返すから、その時にまた加筆修正することまででワンセンテンスとしつつ、今回はこの辺で。

 

一生モノの読書体験だったなぁ。