ぼくが考えたこと。

ぼく(28才、フリーター)が一生懸命考えたことについて。極個人的。

『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』

新年一発目の映画が、まさかのドキュメンタリーもの。普段はこんな類のやつは見ないけれど、連合赤軍に関しては非常に興味があったので。

 

この映画は、タイトルからわかる通り、あの連合赤軍あさま山荘事件を起こすに至るまで、山岳ベースのリンチ殺人も踏まえたドキュメンタリーもの。ただ、これは後々にも触れるけれど、完全に史実をなぞっているというわけではない様子。

 

本当は『突撃せよ!あさま山荘事件』の方を見ようかと思ったのだけど、どうやらこっちは警察側の目線に立ったもので、赤軍派の主義主張うんぬんよりも、悪役としての赤軍派みたいな構図らしいので、とりあえず『実録(以下略』から見て、必要なら『突撃せよ(以下略』を観ようと思った次第。

ちなみに、結局『突撃せよ(以下略』を観るほどではないと結論付けた模様。

 

 

忘れないために簡単なあらすじ説明を、とも思ったのだけど、正直連合赤軍の起こした事件をちゃんと追えてるわけではないし、彼らの主義主張について正確に理解できているわけでもないので割愛。もし未来の俺がこの文章を読んで気になったのなら、ウィキペディアでも読んでくれ。

 

 

(以下の感想は、あくまで『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を観た感想であり、連合赤軍という団体におけるものでも、連合赤軍がかつて起こしたとされる事件に対する感想でもない、ということだけ言い添えておきたい)

 

率直な感想を言えば、思っていたよりも全然薄っぺらかったんだな、という印象。

学生運動とか、世界同時革命、銃による殲滅戦とか、今の俺(今年で30歳)には全く想像することもできない程の熱量。

だからこそ、連合赤軍として本気で革命を志した彼らがどんなことを思い、何に命を懸けたのか、それが知りたかったというのがそもそもの動機だったわけだけど、ふたを開けてみたら山岳ベースにおけるリンチ事件なんて「総括」の名のもとに行われるただのリンチで、その動機が女同士の嫉妬みたいな感情が発端だったりするので、もはやどうしようもない。

大義の名のもとに行われるべき行為に私情が入り込むと、結局「総括」なんてものには何の意味もなくなる。それゆえの暴走、と言ってしまうのは簡単だけど、起こっている事件はあまりにも悲惨。遠山美枝子氏の最期が特に悲惨で、この辺が不快感のピーク。思ったよりも胸糞悪いやんけ!!!!

 

山岳ベース事件についてはそんな感じだったけれど、その後に起こったあさま山荘での籠城事件については、もうすこし同情的な見方できた気がする。特に人質となった女性への態度。これぞ革命戦士の在り方、と言えるのかもしれない。もちろんやっていることは全然褒められたことではないのだけど、筋を通して義を重んじるならば、それは革命のための闘争、と言える(言ってあげたくなる)かもしれない、と思った。

 

正直、共産主義であったり学生運動とか、その辺に関する知識が皆無で、その辺についても勉強になればと思ってこの映画を観たのだけど、圧倒的に知識不足だった。

彼らの主義思想の前提がわからないまま話がどんどん進んでいくから、結局は彼らが起こした事件に対しての感情しか湧いてこない。本当に勉強したいのなら、彼らの主義思想にまで思いを馳せたかったのなら、前提である知識を仕入れなければならなかった、というのが自己批判

(もっとも、彼らの主義思想がいくら立派なものであったとしても、彼らの起こした事件は到底許されないものであることに変わりはないのだけど)

 

でも、語弊を恐れずに言うならば、彼らの言う「総括」については、ちょっと共感しうる自分もいたりする。

あの映画の中で「総括」は、主に暴力の口実に使われていたように思う。

「全然総括ができていないじゃないか」

「真の革命戦士になるために総括は絶対に必要である」

みたいな演説が声高に繰り返されるわりに、誰も「総括」について具体的なことを述べることができない。だから、誰も「総括」の正解を知らない、故に当然「総括」は終わらない。

結局、「総括」とは何なのか、もちろん俺にだってわからないけれど、もしかしたらそれは「覚悟の形」を問われていたのではないかと思った。

銃による殲滅戦が非常に厳しい戦い(ぶっちゃけ勝ち目のない戦い)であることは、多分当時の連合赤軍のメンバー全員が心のどこかで思っていたことで、それでもその戦いに本気で挑むためには、並大抵の覚悟では務まらなかったはず。

そんな戦いに臨むために彼らに必要だったのは、崇高な思想。自らの思想が絶対に正しく、それをいかなる代償をもってしても叶えなければならないという使命感。

そして、戦い抜くために必要になるのが、いかなる障害を前にしてもくじけない、崇高な理想によって結ばれた何物にも代えがたい団結力。

人間である以上、きっと死ぬのは怖いし、おいしいものを食べたいし、セックスだってしたい。でもそんな欲求すらはねのけて、崇高な理想のためなら死ぬことをもいとわない。もともと勝ち目の薄い殲滅戦に臨むのであれば、そこまでの覚悟が必要だったのではないだろうか。そして、自分がその覚悟を持っているのに、隣で戦う仲間が、背中を預けるべき仲間がそこまでの覚悟を有していなかったら、それは由々しき問題にならないだろうか。

例えば彼らの最終目標がもっと現実的で、実現までのプロセスが明確に見えているものだったなら、「総括」にはそこに至る道筋を明確にするという、正解(意味)があったのかもしれない。

でも、彼らの挑んだ戦いは、現実的になればなるほど、勝ち目のない戦いだっただろう。それでも、崇高な理想を掲げている以上は絶対に避けては通れない戦い。

だからこそ、彼らはそれに挑むための「総括」に重きを置いたし、その「総括」は結果として現実に根差したものになりえず、実を結ぶことはなかった。大げさな言い方をすると、革命が目的というよりも、大義を貫いて生きる(あるいは死ぬ)ことが目的だったのかもしれない。

掲げる理想が崇高であるほど、自らを縛る鎖もまた強固なものになる。たとえその理想が実現不可能なものであっても、社会的に正しいものではなくても、心のどこかで自分が間違っているとわかっていても、自らを縛る鎖は断ち切れなかったりする、のだろうか。

連合赤軍の「総括」については極端な事例だけど、この考え方はもしかしたら夢を追いかける今の自分にもふんわり当てはめることができる、かもしれない。

そういう意味では「総括」「自己批判」の言葉は忘れずに覚えておきたいと思った。

 

最後に触れておきたいのは、あさま山荘事件の実行犯である加藤(弟)が最後に叫んだ問題のセリフ。

物語のクライマックス、一番盛り上がるところで感情的に叫ばれるその台詞は、その映画の総括ともいえる印象的なシーン。

でも、ウィキペディアによると、実際に事件を起こした加藤(兄)はその発言は実際のものではないと断言し、批判的な態度どころか明確に怒りを表明しているらしい。

実行犯の一人がそう言っているのだから、多分実際に問題のセリフは言っていないのだろう。

タイトルに「実録」とついているとはいえ、あくまでこれは映画作品でしかないのだから、実際の発言だけで物語を構成するのはいささか無理があるのも当然だろうけど、それであのセリフを言わせるのはちょっとまずかったんじゃないかと思った。

だって、物語の根幹を揺るがすセリフだぜ?めちゃめちゃ攻撃力あったぜ?それでも実際に自分の胸に響かなかったのは、それはあくまで映画製作者の意向で作られた台詞であり、実際にあの時代を生き抜いて、山岳ベースでの「総括」風景を肌で感じ、あさま山荘に立てこもった人間から生まれた言葉ではなかったから、なのかもしれない。

この辺のエピソードのおかげで、作品の作り手が取るべきスタンスについても考えさせられる映画になった。

めちゃくちゃ面白かった、とは言えないし、勉強になった、とも思わないけど、観て良かったとは心から思う。

人に薦めるかどうかを問われると、多分おすすめはしないとのだけど。

 

最後の最後に。

連合赤軍の会議シーンで聴衆が声高に「異議なし!!!」と吠えるシーンが多々あるのだけど、あれはぜひとも日常会話で使っていきたい。

ちょっとネタにしてるニュアンスがあるのだろうけど、あの勢いというかテンション、結構好きだったな。