正しいルールの破り方
頑張って書きます。
今日はぼくの思う「正しいルールの破り方」について。
前提として、ルールは人間社会をイイ感じに回すために必須なものなので、ルールそのものを否定するつもりはまったくありません。
ただ、車も自転車も来ない信号を必ずしもきっちり守らなければならないとは思わないということです。
さて本題。
正しいルールの破り方には二つの条件があると考えます。
まず一つ。「やりすぎないこと」。
最近話題の舛添知事。詳しいことはわからないし、知ろうとも思わないけど、どうやら国民の税金である政治資金でやんちゃしてたそうですね。
連日放送される内容に対して非常に怒っている方も多いかとおもいます。
たとえば舛添氏の政治資金の私的利用が「ごめん、喉乾いたからポカリ買ってもたわ。まぁ経費で落とすか」くらいのものだったら、別に文句言わないと思うんです。
もちろん国民の税金でポカリ買うのもよくない。でも160円くらいなら、ぼくは大目に見てあげたいと思います。
しかし、それが美術品とかになって、金額が高くなるのはよくない。
限度を超えてしまった結果、いろんな人にたたかれる。これは当然ですね。
もしも限度を超えなかったら、クレヨンしんちゃんの漫画くらいは話題にあがらなかったし、笑って許せたとおもうんですよね。
もちろん悪いことはしてるんだけど、ある程度なら許されると思うんです。
うんこするふりして仕事サボったり、学校にこっそりお菓子持って行った経験は誰にでもあるでしょう?
問題はエスカレートして、仕事中に何回もトイレに行ったり、授業中にお菓子を食べちやうから、少しのルール違反も厳しく取り締まられてしまう。
結局ルールを破って自分の首を絞めているわけですね。
話を戻して、もう一つのルール。「自分が悪いことを自負すること」。
ルール違反はルール違反なので、やっぱり悪いことです。
だからこそ、怒られたら反省すべきだし迷惑をかけたら謝ろうよって思います。
たとえば自分が信号無視して車にクラクション慣らされた場合、むかつく権利があるのは車の人間です。
ルールを破ったくそ野郎が誰かに迷惑をかけてしまったなら、素直に謝るか、そそくさとその場を去ればいいと思います。
しかし、世の中には逆切れする人、まったく悪びれない人もたくさんいます。
「ルールを破ることはよくないこと。自分は悪い人間だ。」
こうやって自負さえしていれば、堂々とルールを破る人もいなくなるし、自然に謝るようになるのだと思います。
ルールを破っている人がむかつくにではなくて、ルールを偉そうに破る人に腹が立つ気がします。
信号を無視するときは小走りでいけよってことなのかもしれません。
さて、上記のルールさえ守ってくれれば、ルールを破る人に対しても情状酌量ができるというか、がちがちの世界ではなく、ある程度楽に生きられると思うのです。
ほいで、ここからが最も大切なところ。
きちんとルールを破らない人のせいで、きちんとルールを破る人も縛られるようになるのがどうしても納得できない。
ぼくはそういった類のことにすごく憤慨します。
授業中にお菓子を食べたやつのせいで、今までこそこそとお菓子をたしなんでいた人間も怒られてしまうのは、なんだかすごくむかつく。
ぼくのマンションではシールを貼っている自転車しか止めれないという決まりがあります。
ただ、ぼくはシールを貼らずに停めています。ルールを破っているくそ野郎です。
だからこそ、誰も使わないような自転車置き場の隅っこの場所に置いています。
なるべくルールを守っている人の邪魔をしないのがぼくの義務であり、誇りです。
しかし、最近はなんと中型のバイクが無許可で停められるようになりました。
しかもど真ん中に。
さらに、シールのない自転車が、駐輪場ではなく通路に止められるようになりました。
こういった事態を重く受け止めた管理会社は、シールのない自転車をすべて撤去することに決めましたとさ。めでたしめでたし。
ルールを正しく守らないからこそ、自分たちの快適な生活が奪われる。
みんなが正しくルールを破れば、もっともっと住みよい世界なんじゃないかなぁ。
とつたない考えを捨てられないぼくなのでした。